客観的に見ること
いつからかはわからないけれど、リアリストな1面もあるし、妄想や思い込みが強い1面もある。
だからなんかややこしい人間。
それが私あきにゃんです(;´д`)
客観的に自分を見たり、物事を考えるのは主観的な話は通ることがなく、上手くいったことはほとんど無い。
また単純に経験がない部分を補うためにこそ人と関わり、交わり、いろんな視点で物事を判断するスキルを意図的ではないにしても上げただけにすぎない。
ちなみに人様に迷惑をかける行為(例:個室ではないような店内で騒ぐなど)は嫌い。
誰かも好きだから私も好き、誰かが嫌いだから私も嫌い、のようなことはしないし出来ない。
自分が楽しければそれでいい、という思考も嫌い。
オススメされたからといって自分の目で見たり聞いたり読んだりしてからじゃないと判断はできないだけ。
ただし、自分のことを知ってる人物からなら興味は持ちやすくなる。
(例えば兄妹、旦那)
+αで根拠の無い話は嫌いだし、信じにくい。
例えばホラー。
フィクションだとわかっていても、実体験したことがあるからこれからも怖いという認識は変わらない。
経験が無かったらきっと行動に移していたかもしれない。
そこまでする必要があったらの場合だけど。
中には数値を見せることで言葉にさらに力を込めることができるけど、これは物事によりけりであると思っている。
ちなみに夫婦喧嘩した際もし勝敗を決めるのであれば私の勝ちになると思う。
年の差がある分経験値が高いからだけである。
とはいうものの経験なんてものは知識があれば上回ることなんて容易いことも知っている。
だから、私は経験だけで話はせず、色んな方向からの話を見聞し、知識として得たものを自分なりに伝えてる。
納得してもらえなければ、納得させて欲しい。
間違ってるなら間違ってると言って欲しい。
けど、それをする以前に「言い合い」すらならず、はたから見たら私がただただ責めてるだけの図が完成するのである。
さらにいうと、こういう時ほど自分を客観的に見るのが強くなる。
どう言ったら理解してもらえるか。
だれそれの言葉が当てはまるかなど。
私の言葉として放つ。
もちろん私の言葉として放ったからには責任を持つ。
よっぽどの事がない限り、覆ることはないし、まげることない。
有言実行するのみ。
後にまた自分の言葉に力を持たせるために必要なことだから。
目には見えなくとも継続することで「数値」や「データ」と同等に近い根拠を得ることができる。
それこそまさに人間の強みなんじゃないかなと思うのが、あきにゃんです🐱